若者の自殺率が一位で思うこと
若者の自殺率が、先進国で一位
生き方、考え方の主体性を奪う教育は、若者を世界一の自殺率に追いやっている。
不登校になる方が当然の義務教育
「皆勤賞」は、日本の学校に今も存在する。
「休まないこと」は良いことだろうか。
人は、体調の悪い時や、気分の良くない時があるのが普通で、学校に行きたくない日もあるのが当然なのに、「休まないこと」を学校が奨励すれば、「休むこと」は悪いことになってしまう。
成績が悪いと留年するフランスとの違い
フランスで、成績不振が理由で小学生が留年したことが話題になった。
日本のマスコミは、おおむねフランスに批判的な報道だったが、成績の結果にかかわらず、誰でも進級させてしまう日本の義務教育の方が問題ではないだろうか。
問題は、本来、学校の仕事であるはずの教育の補完を塾に依存し、学力の到達を放置した学校の責任ではないだろうか。
押しつけられる、矛盾だらけの完璧主義
得意・不得意があるはずの、どんな教科、科目でも100点満点が目標とされ、
スポーツを中心にすれクラブ活動も奨励され、時にはボランティア、男女交際なども。
「したたかさ」を持ち合わせていたり、ある程度、鈍感に受け流せる資質のある場合は、矛盾だらけの完璧主義に悩むこともないが、純粋な人や、何でも真剣に受け止める人の場合は、どうだろうか。
自分の責任にしてしまう危険性
勉強、クラブ活動、恋愛、友人関係において、理想を基準にすると、自己嫌悪におちいったり、自分を過度に責める危険性はないだろうか。
多様性を認めない日本の教育
今だに、髪の毛の色を染めたりパーマをあてることを禁止する学校が多い。
外国人の生徒も増え、金髪の子ども、アフリカから来たパーマの子どもは、生まれつきだから良く、生まれつきでない子どもはファッションとして真似することは悪いことなのだろうか。
教科書への指導だとして、元の教科書にあったパン屋さんを和菓子屋さんに変更させたことが話題になったが、日本に定着している文化まで否定する文科省が、多様性を認めないのは当然だろう。
結果責任を個人に押しつけ、多様性を認めない社会なら、「生きづらい」と考えてしまう責任は、文科省にある。
日本を離れるしかないが
僕の思春期の場合、激しい違和感の中で苦しみながら過ごして来たが、結局、日本脱出を選択した。
今、日本にいないおかげで、平和な日々を過ぎせている。
たとえ、今、日本を離れることができなくても、こんな変な国は日本だけだって思って、いつの日か、日本を離れることを夢見るだけでも、気楽になれるかもしれない。