ホーチミン現地ガイド

ホーチミンの現地ガイドいたします。カカオトークのID、「toshiwithlove」かメールアドレス「withlovefromtoshiro@yahoo.co.jp」で連絡可能です。送迎、観光ガイド、ショッピング案内、風俗案内などをさせて頂きます。 複数の現地在住の日本人ガイド、日本語堪能なベトナム人ガイドもいます。 気軽にお問い合わせ下さい。日本国内での電話によるお問い合わせ:050(3716)5064[担当 Toshi] [自己紹介] 「トラべロコ ホーチミン トシ」で検索して下さい。

NHK朝イチ、問題提起はしても批判せず

ランドセルの重さの次は中学生のカバン

前回の特集では、小学生のランドセルの重さ、今回は中学生のカバンにスポットを当てた。

以前より重くなった原因を探り、学校側の言い分が家庭学習の重要性のために「置き勉」は認められないであったり

学校によっては、個人ケースの設置と美化委員の点検、科目ごとに「置き勉」の教材の可否を一覧にする工夫もしている現状分析があった。ここまで良い。


勉強って義務なの?

国民の三大義務って日本国憲法に定められた「教育の義務(26条2項)」「勤労の義務(27条1項)」「納税の義務(30条)」の日本国民の三つの義務のこと。

26条2項には、

「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」と書いてある。

つまり、親が子に普通教育を受けさせる義務であって、子が勉強する義務なんて書いてない。



なんで、帰宅してまで勉強を強制する?

「勤労の義務(27条1項)」つまり、大人の仕事なら、相当の賃金が支払われる残業に相当するのが「家庭学習」ではないだろうか?

もっとも学校や先生は、「家庭学習」は子供たちのためだと言うだろう。

しかし、現実的には、宿題は強制であり、しないと「怠け者」「サボリ」と屈辱感・罪悪感を感じることになる。


重いカバンは金次郎の背中の薪と同じ

理屈や合理性なんてどうでも良いから、言われたことを反抗せずに実行する人間を育てるために、戦前は、どの小学校にも、その銅像があった。

少し頭の良い子なら、「薪を運びながら勉強するなんて、非効率的で危険」って気がつくが、問答無用で勤勉を押し付けるのには格好のシンボルになった。

真の目的は「勤勉」ではなく軍隊や労働者の予備軍としての「規律」だった。


多様性を認めるなら宿題なんて出せない

ピアノの先生に習った技術を次回までに自分で練習したり、スポーツの技術を自分で練習のは家庭学習の意味があるだろうが、好きでもない科目の勉強させられることは強制でしかない。


結論、宿題というか家庭学習の強制なし

だいたい、英語、中学生3年、高校3年、大学4年も勉強しても、ほとんど役に立たないことしか教えられない学校・教員側に問題がある。

英語に限らず、もっと教える側の努力が求められる。

教科書は学校に置きっ放しにして手ぶらで通学しても良いのではないだろうか。

体操服は洗濯があるので仕方ないが。